HISTORY 柔道部の歴史

東海大学体育会柔道部の始まりは、1955(昭和30)年の学友会発足時にさかのぼる。体育会発足3年目の1957(昭和32)年春には、現OB会会長の田中慶秋氏(衆議院議員)や横山信雄氏(故人)らが入学し、翌年に学生連盟に加盟した。体育会は1960(昭和35)年に発足したが、柔道部は発足時の公認七部の一つである。その後、東海大学は総合大学へと発展し、1966(昭和41)年には、湘南校舎に武道館が建設され400畳敷きの柔道場が完成した。

大学のスポーツ活動が飛躍するきっかけとなったのは、1967(昭和42)年4月の体育学部開設である。翌1968(昭和43)年には武道学科が増設され、以後、柔道部は体育学部学生が主体の、高い競技力を有する運動部として学生柔道の歴史を塗り変えていった。具体的には1969(昭和44)年1月に佐藤宣践先生が監督に就任してからは、部の雰囲気が大きく変わり、「日本一」という目標を掲げて研鑽を積み、1976(昭和51)年、怪童といわれた山下泰裕が付属相模高校から入学し、翌1977(昭和52)年、念願の学生団体日本一を獲得した。

さらに、1979年には創立者松前重義博士が国際柔道連盟会長に就任され、柔道部は世界に向けて活動の輪を広げていった。

柔道部は、嘉納治五郎師範が掲げた「精力善用・自他共栄」と松前重義博士が掲げた「柔道・友情・平和」の理念・理想に則り、東海大学建学の精神である「教育を通して平和な社会を築く」という目標に向け活動を展開している。日本の伝統を継承するとともに国際性を養い、日本と世界を結ぶ人材育成を目指している。

また、女子柔道の振興については、松前重義博士が国際柔道連盟会長としてオリンピック種目採用に尽力され、1992(平成4)年のバルセロナ五輪から正式種目となった。女子柔道の競技化が国際的に進む中で、当初消極的だった日本も次第に活発となり、大学女子柔道部も増え、学生柔道連盟も男子と同様に全国大会を開催するようになった。このような流れの中で、東海大学柔道部も優秀な女子柔道部員の獲得に乗り出して女子柔道部を設置し、女子柔道部は2000(平成12)年7月に開催された第9回全日本学生柔道優勝大会(女子・5人制)で見事初優勝を達成した。

現在、東海大学柔道部は「柔道による人間教育」を実践している。

東海大学 建学の精神

松前重義先生

創立者松前重義は、青年時代に「人生いかに生きるべきか」について思い悩み、内村鑑三の研究会に参加しました。内村の講義に深く感銘した松前博士は自らの生涯の使命を発見しました。特にデンマークの教育による国づくりの歴史と思想に啓発され、1935(昭和11)年に自宅敷地内に私塾「望星学塾」を建設しました。ここに東海大学の学園の原点があります。松前博士は「望星学塾」の信条として四つの言葉を掲げました。

  • 若き日に汝の思想を培え
  • 若き日に汝の智能を磨け
  • 若き日に汝の体躯を養え
  • 若き日に汝の希望を星につなげ

ここでは身体を鍛え知能を磨くとともに人間・社会・自然・歴史・世界等に対する幅広い視野を持ち、一人一人が人生の基盤となる思想を培い人生の意義について共に考えつつ、希望の星に向かって生きていこうと語りかけています。
学園では、創立者の精神を受け継ぎ、明日の歴史を担う使命感と豊かな人間性を持った人材を育てることにより、「調和のとれた文明社会を建設する」という理想を高く掲げ、歩み続けてます。

  • 東京都武蔵野市にある望星学塾(左側の建物が1935年に建設された)。現在は社会教育活動として「松前柔道塾」を設置し、柔道による青少年育成を展開している。

  • 「東海」とは、アジアの東にある世界最大の海洋である太平洋を表しており、太平洋のように大きく豊かな心、広い視野を育みたい、という願いがこめられています。

  • 学園の各教育機関の校章には波と翼がデザインされており、これは洋々とした大海と、それを腑瞰して悠場迫らず大きく翼を広げて飛翔するかもめを表しています。